阪神大震災から18年
1995年1月17日。
皆さん、何をしていましたか?
私は、大学生でした。

毎日、油絵を描いている毎日でした。
就職先も決まっていて、後は、卒展だな…という頃。
午前5時46分。
連日のニュースで流れる映像は、想像を絶するものでした。
住宅会社に就職が決まっていた私は、自分の目で見なければ…と思い
震災後、1ヶ月ほどの頃。
兵庫県の知人を訪ねました。。。
新幹線も止まり、電車も止まり、バス停に長い行列。。。
何時間かかったのか、覚えていないのですが、ほぼ一日がかりでした。
幸い、知人宅は大丈夫だったそうですが、
通ってきた神戸の街は、本当に大変なことになっていました。
家はもちろん、ビルも、高架も、道路も、いたるところが壊れていました。
物資なども足りていたのか、今の私だったらいろいろ考えるところ
当時、何も考えず、ただ自分勝手に行動していました。
あれから、18年。
見たことを忘れないこと。
何もしなかった私がただ、しつづけなくては…と思うこと。
特に、今年は、新聞にもTVでも取りあげられるのは、ごくわずか。
日本人は、ワスレンボサンだから…
「私のアンネ=フランク」松谷みよ子著の本の中で、
アウシュビッツを訪れた蕗子が、黒い服の男に言われた言葉を思い出します…
日本人は、東日本大震災でも経験したのに
もう原発事故のこと、忘れそうになっている。。。
鬼の目玉は、絶対に、鬼に渡してはいけないのです。。。
「(日本人は、)長い間、にくむことができない。
すぐわすれ、すぐ手をとり、すぐ妥協してしまう」(同著引用)
蕗子は、鬼の目玉は、投票用紙なのかも…って言っていた。
昨日のニュースでも、橋下大阪市長がそんなこと言ってました。
ワスレンボサンの私たちは、前回の選挙で、鬼の目玉を
渡してしまったのかもしれません。。。
悪いことをして目玉をくり抜かれた鬼に
自分の幸せの代わりに、鬼の目玉を渡すことのないよう。
忘れてはいけないのだと思います。
chica
皆さん、何をしていましたか?
私は、大学生でした。
毎日、油絵を描いている毎日でした。
就職先も決まっていて、後は、卒展だな…という頃。
午前5時46分。
連日のニュースで流れる映像は、想像を絶するものでした。
住宅会社に就職が決まっていた私は、自分の目で見なければ…と思い
震災後、1ヶ月ほどの頃。
兵庫県の知人を訪ねました。。。
新幹線も止まり、電車も止まり、バス停に長い行列。。。
何時間かかったのか、覚えていないのですが、ほぼ一日がかりでした。
幸い、知人宅は大丈夫だったそうですが、
通ってきた神戸の街は、本当に大変なことになっていました。
家はもちろん、ビルも、高架も、道路も、いたるところが壊れていました。
物資なども足りていたのか、今の私だったらいろいろ考えるところ
当時、何も考えず、ただ自分勝手に行動していました。
あれから、18年。
見たことを忘れないこと。
何もしなかった私がただ、しつづけなくては…と思うこと。
特に、今年は、新聞にもTVでも取りあげられるのは、ごくわずか。
日本人は、ワスレンボサンだから…
「私のアンネ=フランク」松谷みよ子著の本の中で、
アウシュビッツを訪れた蕗子が、黒い服の男に言われた言葉を思い出します…
日本人は、東日本大震災でも経験したのに
もう原発事故のこと、忘れそうになっている。。。
鬼の目玉は、絶対に、鬼に渡してはいけないのです。。。
「(日本人は、)長い間、にくむことができない。
すぐわすれ、すぐ手をとり、すぐ妥協してしまう」(同著引用)
蕗子は、鬼の目玉は、投票用紙なのかも…って言っていた。
昨日のニュースでも、橋下大阪市長がそんなこと言ってました。
ワスレンボサンの私たちは、前回の選挙で、鬼の目玉を
渡してしまったのかもしれません。。。
悪いことをして目玉をくり抜かれた鬼に
自分の幸せの代わりに、鬼の目玉を渡すことのないよう。
忘れてはいけないのだと思います。
chica